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婉曲的な表現、比喩などに関する考察

言葉というものは多様で、とても難しいものです。

私はあまり直接的な表現は好まず、
婉曲的な悪く言えばもったいぶった言い回しを使いがちです。
元々小説などを読むのが好きだったこともあるのでしょうが
おそらくは直接的な表現を嫌う日本人的な気質が強いということでしょう。

しかし最近はそれも改めるべきかと思っています。

というよりも、状況にあわせる柔軟性が必要というか。


古代中国に墨子という思想家がいました。
高校倫理などでは彼の思想は「兼愛」が核となっていると教えているようですが
実際の思想の中心は「合理主義」であり、「兼愛」はその結果に過ぎません。
そしてその合理主義は著書「墨子」にも反映されています。
当時文字を読める人間、本を理解できる人間は限られていましたし
そのレベルも一様ではなく、読解力の足りない人も多かったと思われます。
彼はそのため、誰でも理解できる文章を書きます。
誤読をなくすため、比喩や婉曲的な表現をできるだけなくし、
事実や論理展開だけをただただ書いていく。
しかし、ある程度の読解力のある人間、例えば現代人が見た時、
これは実につまらない、読む気の起こらない文章です。

墨家の思想が墨子の死後、廃れていったのは
儒家による排斥だけでなく、彼の文章自体の読みにくさもあったからといわれています。

万人に通ずる文章というのは非常に難しいです。


私もここのところ、それを痛感しました。
相手のことを考えて文を書くこと。
それができなければ、どんな誤解が起きても
相手を責める資格など、ないのかもしれません。

そして私にはまだまだその力が足りなかったということでしょう。


少なくとも私を批判した人物は、そう言い放ちました。

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